2015日3月10日放送の「徹子の部屋」に有馬稲子(ありまいねこ)さんが出演。18年前の今日、最初の夫である萬屋錦之介(よろずやきんのすけ)が亡くなられた日です。有馬稲子さんは「徹子の部屋」に今回で13回めの出演。萬屋錦之介さんが亡くなられた日は、脚の手術で入院されていたとのことです。ふたりの馴れ初めから離婚の経緯までご紹介。
有馬稲子さんは、二度の結婚と離婚を経験し、大物映画監督との不倫も告白している恋多き女性です。また、お相手の萬屋錦之介さんも三度の結婚と二度の離婚を経験している、まさに昭和のモテ男といったところでしょうか。
有馬稲子・萬屋錦之介、ふたりのプロフィール
有馬稲子
1932年生れ、今年83歳。大阪府池田市で生れ、4歳の時に祖母に釜山(ぷさん/現・韓国釜山広域市)にいる伯母のもとに連れて行かれ、養女となる。帰国後、両親と再開し、1948年には宝塚音楽学校に入学。劇団では主演娘役として活躍し、その後東宝の専属女優となり映画の世界で活躍。1955年松竹に移籍。
1961年、萬屋錦之介と結婚。銀幕のトップスター同士の結婚に相応しい、豪華絢爛な結婚式を行うが、3年7ヶ月後に破局。4年後の1969年実業家と再婚するも、1983年に離婚。どちらの結婚においても子供はいない。
萬屋錦之介
1932年生れの歌舞伎役者。1996年に咽頭がんを発症し、1997年3月10日肺炎のため死去。享年64歳。
歌舞伎界の一門の御曹司として、梨園で生まれ育つ。しかし、4男であることから歌舞伎界での主役級の配役を受けることが難しい状況にあり、映画界からの誘いを受けて映画界へと転身し、昭和時代劇を代表する大スターとなる。
生涯に三度の結婚をし、最初の妻である有馬稲子と離婚後、女優の淡路恵子、同じく宝塚女優の甲にしきと不倫の末、再婚している。
ふたりの馴れ初めと離婚の原因は?
最初の出会いは、「近代映画」という映画雑誌の対談ページで、有馬稲子はそれまで萬屋錦之介のことはよく知らなかったそうです。
それで、その対談のために見た作品で萬屋錦之介のあまりの上手さに驚いたと後に語っています。
離婚の原因は、梨園のしきたりと日々自宅で繰り広げられる宴会に有馬稲子が疲れ果てたこととされています。
有馬稲子の書籍