2015年6月5日、オリックスのドラフト一位投手・山崎福也(やまざきさちや)が中日との交流戦で初勝利を挙げました。同日2回にはプロ入り初安打も記録し、ウィニングボールと初安打、ふたつの記念球を手にした山崎福也が福良監督代行と握手を交わしにっこり。
試合の内容は先発・山崎福也が5回まで1安打無失点に抑え、6回に中日・大島洋平に2ランを浴びて降板したが、それ以降を継投策で0点に抑えたオリックスが、3対2で中日に勝利した。
中学3年生の時に患った脳腫瘍で余命は7、8年かもしれないといわれていたそうで、それを乗り越えての勝利に、本人は勿論、周囲の人の喜びも一入といえるでしょう。
山崎福也が患った小児延髄上衣腫とは?
山崎福也に脳腫瘍が見つかったのは中学3年の11月のことで、高校進学の準備のために受けた健康診断で全身のMRIを撮ったところ、前頭葉に影が発見された。その後の検査の結果、「小児延髄上衣腫」と診断された。山崎福也は後に、その時のことを生存率10%と聞かされ「頭の中が真っ白になり、死んじゃうのかなと思いました」と語っています。
腫瘍の大きさは4.2センチで、神経と司る重要な部位にあり、手術をするには非常に難しい場所といわれたそうです。幾つもの病院を探しまわり、執刀医・沢村豊医師の元で6時間にも及ぶ手術が行われた。手術後、沢村豊医師は山崎福也に「野球ができるぞ!全部取ったよ!」と声をかけたそうです。
沢村医師のウェブサイトによると上衣腫の場合、手術で全摘出ができれば治る可能性があるそうです。しかし、その手術は難しく十分な経験を積んだ脳外科医の元で行う必要があるとされています。現実的には半数以上の手術例で全摘出ができていようで、その場合、生命予後は良くないものとなります。
山崎福也の場合は、幸い手術で全摘出できたようで、これからも野球選手として活躍されることでしょう。ドラフトで指名された後、山崎福也は沢村豊医師に「野球選手になれました」と電話で喜びの報告をしたそうです。
詳しくは沢村豊医師のウェブサイトをご覧ください。
山崎福也の執刀医・沢村豊(澤村豊)医師とは?
山崎福也投手を執刀した沢村豊医師は小児脳腫瘍の日本の第一人者です。脳腫瘍の手術だけでも3000例以上の経験があるそうです。澤村豊医師のウェブサイトには、多様な脳腫瘍についての解説が事細かく記載されています。患者の立場に立ったアドバイスも多く、もっともわかりやすい脳腫瘍のウェブサイトといえるでしょう。
長年、北海道大学病院脳神経外科病棟に勤務し、現在は北海道でさわむら脳神経クリニックを開業されています。
最近、脳腫瘍って増えているの?
最近、脳腫瘍という病名を耳にすることが多い気がします。芸能界でも21歳のアイドル・丸山夏鈴(かりん)さんが死亡し、音楽ユニット・ブンブンサテライツの川島道行(かわしまみちゆき)さんが脳腫瘍で闘病中であることを公表しています。
脳腫瘍の年間発生率は人口10万人に対し、約10人と言われていますが、年々増加の傾向にあるようで、携帯電話の使用による脳腫瘍のリスク増加も囁かれています。