渡瀬恒彦と大原麗子の結婚生活は?子供はいるの?兄弟は?

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渡瀬恒彦さんは今も映画やドラマに活躍中の人気俳優ですが、そんな渡瀬さんをテレビで見るにつけ、2009年に亡くなられた女優、大原麗子さんを思い出す方も多いのではないでしょうか。そんなふたりの結婚生活と芸能界に入ったきっかけ、兄との関係など、渡瀬さんの私生活に迫ってみたいと思います。

渡瀬恒彦さんの兄弟は?

俳優の渡瀬恒彦さんの兄はあの渡哲也さんです。

先に芸能界入りしていたお兄さんの影響を受けて俳優になったのかと思いきや、渡瀬恒彦さんは早稲田大学の法学部に入学し、その後大学を除籍になった後も俳優には全く興味がなく電通PRセンターでサラリーマンとして働いていました。

しかし、当時の東映の社長より熱心に口説かれ、1969年に東映と契約し、芸能界入りすることになります。

渡瀬恒彦と大原麗子の馴れ初めは?

大原麗子さんは渡瀬恒彦さんより少し早く、1965年に東映と契約しています。お二人の接点はここから始まりました。

大原麗子さんは渡瀬さんの4年先輩に当たりますが、結婚のきっかけは大原さんの一目惚れだったと言われています。

今でこそ渡瀬恒彦さんは温厚な人柄が滲み出るような役柄も多く、柔和な顔立ちをされていますが、若い頃の渡瀬さんは細見で目つきが鋭く任侠映画を地でいくような風貌でした。

アクションのシーンなどはスタントマンなしで撮影されていたそうで、その頃の映画の撮影所ではケンカも多々あり、渡瀬さんはあの安岡力也さんを駐車場でボコボコにしたなど武勇伝が伝えられています。

一見怖そうな渡瀬恒彦さんですが、普段は周囲に気を使うやさしい人だったそうで、大原麗子さんもそんなところに惹かれたのかもしれません。

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ふたりの結婚生活は?

二人は1972年2月14日に婚約を発表し、翌年の1973年に結婚しました。

東京世田谷区成城で渡瀬恒彦さんと大原麗子さん夫婦に加え、渡瀬さんのお母さんも同居する生活になります。

結婚後も大原さんの女優としての人気は留まるところを知らず、1年先まで仕事の予定が埋まっていたそうです。

そのような状況の中、お姑さんである渡瀬さんのお母さんは、大原さんに料理など家事一般を教え込もうとしたそうで、大原さんは仕事と家庭の間で随分と悩んだのではないかと言われています。

そんな折、渡瀬さんの仕事は任侠映画が中心となり、京都の撮影所で撮影することが多く、東京を拠点に女優として活動してきた大原さんとは離れて暮らすことになります。

そして、大原麗子さんは1975年9月に手足の筋肉が動かなくなる難病「ギラン・バレー症候群」を発症することになります。

その闘病生活は7ヶ月にも及びましたが、その間京都から通い、献身的に大原さんに付き添う渡瀬さんの姿がよく見かけれれたそうです。

ふたりの離婚

しかし、1978年にふたりは離婚することになります。

大原麗子さんが病に伏している間は持てた夫婦の時間も、病が回復すると共に失われ、再び東京と京都に離れて暮らす日々となってしまいました。

この結婚生活の間に、大原さんは一度だけ渡瀬恒彦さんの子供を宿したことがあります。しかし、子宮外妊娠で残念ながら流産となってしまいました。

婚約発表時には30才までに子どもが欲しいと言っていた大原さんです。もし、この時の子供が無事に生まれていたら、ふたりは別れなかったかもしれないと思うのは私だけでしょうか。

離婚後、ふたりはそれぞれ別の相手と再婚しています。

渡瀬さんは一般の女性と結婚して一男一女をもうけ、大原麗子さんは歌手の森進一さんと1980年に結婚し、その4年後に離婚しています。

大原さんは、渡瀬さんに未練があったのではないかと今でも噂されていますが、2009年に亡くなった大原さんの七回忌の法要に参列した渡瀬さんが取材を受け「いろいろありすぎて簡単には言えないです」と語る姿には、外からは窺い知れないふたりの深い縁を感じずにはいられません。

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